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私の生い立ち


私の生い立ち

小林邦男

私は戦争中に逆子で、正常は頭から手もギュッと握って生まれ出るのですが、足から仮死状態で生まれ出ました。

逆さに振るわれて水をプウプウ吹きかけられて、ようやくオギャアと言ったそうです。

足を引っ張って出たので、腰が外れたようで成長は遅く、弱く、気が付いた時にはマヒにかかり、そのときのお医者さんはもういませんからわかりませんが、脊髄性麻痺四肢麻痺と病名がついたようです。

弱くて弱くて、毎年5月ごろになると決まって死にそうになったようで、30才になって、ようやく車椅子がこげるようになり、県の更生指導所で大勢の女性に交じって和裁科を勉強しました。浴衣も縫えます。

その時の仲間はみんな良い人たちばかり、今もお付き合いさせていただいていて大変幸せで。

私は皆さんのように学校へ行けませんでしたから、行っていません。

今は、皆さんと一緒に勉強できない子は、県のバスが廻ってきて養護学校で勉強できますから幸せな世の中だと思います。

私は学校に行っていませんが、更生指導所にいる時、良い先生に恵まれて、検定に挑戦しようと一生懸命教わりまして検定を受けて、小学校は一応卒業したことになっております。

以後、10年ほど浜松の身障者ばかりの働く工場で三幸協同製作所へ入ってオートバイの部品のバリとりなどやって来ました。

私の小さい時、母はこんな私を気遣いつつ亡くなりまして、すぐ次の母が来てくれましたが、その母も5年ほどで亡くなってしまいまして、我が家は最低生活の連続で、それは今も同じです。ですから私のために特に家の中を改造したところはありません。

私は家の中では、這い回りイスにとびのって台所、洗濯物干しと何でもやります。這い回っているおかげで、かぜもひかず丈夫になり、毎週おのころ島へ顔を出しているというわけです。今日はおのころ島から派遣されてここに来ているわけです。

私は学校に行きませんでしたが、難しい漢字などはお相撲さんの名前で自然に覚えました。ですからお相撲を見るのが好きで、毎年、東京の本場所が終わると、やめたお相撲さんの頭の髷を切る断髪式を入れた引退相撲やテレビや新聞社が主催する選手権大会とかいろいろ花相撲がありまして、時々両国国技館に見に行きます。

もちろん私一人では行けませんので、兄の介護で行くのですが、先日1月31日に二子山部屋の元小結三杉里の引退相撲があったので、私と兄と知り合いの車椅子の伊久美さんとカリエス障害の奥さん、それにいつもいろいろ福祉行事にご夫婦でボランティアとして出てくださる頼れるお二人の総勢6人で行ってきました。

電車賃は私のように人手を借りなければ乗れない人は藤枝から焼津でも静岡でも東京でも二人とも半額にしてもらえます。私の兄や伊久美さんの奥さん、カリエス障害など軽い障害者で一人で乗れる人は、100km以上乗るときは半額になりますが、静岡や熱海など100kmない時は割引はありません。

そして新幹線などの特急電車は、戦争で負傷した人は乗車賃も特急料金も無料ですが、私どもは特急料金の割引はありません。特急料金は高いので、3割でもいいから割引してくださいと陳情するのですが、大分お金がかかっているのでできないとのことです。午前11時には国技館に入りたいのですが、安く行きたいので6時に藤枝駅に集まりました。以前に藤枝駅は、お願いすると駅員に誘導されてロッテリアのところから入ってホームの一番端に行き、線路を渡って乗り場のホームに行けたのですが、危険があるというので今は、車椅子を乗せる台車にキャタピラがついたもので、車椅子を乗せたまま階段を上り下りできる機械が入りまして、駅員の操作で乗れるようになりました。10時19分東京駅着、藤枝駅から東京駅に連絡がついていて、駅員に誘導されて駅の外に出るのですが、階段を使わずに出るにはホームの端にある荷物用のエレベーターで下に降りて迷路のようなところを相当歩いて八重洲口の端に出ました。まあ荷物運びのコースですが、それでも階段なしで乗れるのは有り難いです。電車で両国に行くには途中、秋葉原で乗り換えなければならないので、今回はタクシーに乗りました。それでも10時50分に国技館に着きました。

国技館にはエレベーターが一つあるのですが、これは皇室や国賓が2階の貴賓室に入るためのもので、私たち一般人は使用できませんからここは誰かにおぶってもらうしかありません。トイレは一般用車椅子用たくさんあって困りません。トイレの中にいても場内放送はしっかり聞こえます。帰りは約1万人の人がどっと出ますので相当待たないと両国駅で電車は乗れませんから、少し歩いて隅田川を渡り浅草橋に出て八重洲口行きバスに乗り八重洲口から新幹線に乗りました。改札口から階段のないところを通りながらエレベーターで新幹線ホームに出ました。静岡に降りても新幹線ホームのエレベーターで一旦下に降りて少し連絡通路のようなところを通って東海道線下りホームに出ました。藤枝駅には朝使った機械が用意してくれてあり、無事帰ってきました。

そんなわけで時間が相当かかりますが、どこにでも行くことはできるのです。藤枝駅にも静岡国体までにはエレベーターがつくそうです。有難いことです。

私たちが外出するのに心配なことはトイレです。普通のトイレは入り口が狭くて入れません。外出のときは飲み物などは控えますので、体の具合がくるってきてなかなか完全な体調の時がありません。それで外出が面倒で引っ込んでいる人が多いのです。仲間の中には毎日のウンコがでなくて、いきむ力も弱いので、日を決めてお尻に指を入れてかき出す、そういう人もいます。重度障害者はトイレが心配で外出をためらうのです。ですから街の中に車椅子用公衆トイレが増えて安心して外に出られる環境になればと願っているところです。

皆さん、世の中にはこういう人たちもいるのです。皆さんだっていつケガをして一人で動けなくなるかわからないわけですから、今まで以上のご理解をお願いいたします。あんまり長くなってはいけませんので、今日はこの間東京に行った体験談で終わらせていただきます。


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