遣唐使の歩いた道を自転車で!
洛陽についたのは夕方5時近かった。
ここで西安まで行くための自転車を買うことになっている。自転車専門デーパートの横路にはたくさんの自転車が並べてあった。
ピンク色あり、変速ありと並んではあるが…。「エッ!高い!」仲間の声も聞こえる。「値札と違うよ。この値札がついていたのだよ。」とかなりねばっている声も聞こえた。
私も「主人と二台買うんだからまけてヨ!」足もとをみられたのか「ダメ!ダメ!」の一点張りに私も諦めて、結局二台で1万6千円で手を打った。ピンク車にした。足が短いのでサドルは目いっぱい下げてもらった。
ホテルまで自分で乗って行って下さいとのこと。さて、何年ぶりかで自転車に触れることでもあり、おそるおそる乗ってみる。
街の中を走れるかな?中国は右通行だ。ドキドキ!トラック、バスがクラクションを鳴らして私の傍らを走って行く。夕闇が迫ってくる。早くホテルまで着かなくては!自転車には電灯がないのだから…。
暮れなずむ洛陽の街を、私はなれない自転車を必死でこいだ。
「私たちは平坦な路や静かな農道を走ったヨ」。この訪中自転車旅行は第三回で今回で最後ではあるが、体験者からそう聞いていたので、私は勝手なイメージを描いただけに意外な場面に面食らった。
自転車も今日で三日目。
私たちはホテルを出て平坦な路を列をなして走り始めた。ハンドル操作にも多少自信を取りも出しながら進んだ。
今日は期待していた、あの「函谷関」へ行けるのだ!ところが間もなく路は道路建設予定地に変った。凹凸は激しく、土埃りかと思えば泥またりありで、対向車にも気を使っての自転車の走りは、ずっと昔のことを思い出した。
「箱根の山」の歌詞にもある、「函谷関」にいけるのだと寝不足も何のそのと、張切ってペダルを踏んだ。着いたぞ!函谷関だ!
何かえらく賑やかだ。
聞けば孔子の誕生祭りに、台湾グループが馳せ参じ銅鑼を鳴らし、躍っていた。我々はその祭りの中をぬって函谷関へと急いだ。
函谷関は深く険しい黄土層の山道が連綿と続くことが「函」の中を行くのに似ているところから名ずけられたとか。遣唐使たちもここで止まってしまったのだろうか、彼らが苦難をしながら日本に大きな文化をもたらしてくれたことを、今日も走りながらその偉大さに思いを馳せた。
お尻の痛さなど遣唐使のご苦労からすれば蚊に刺されたくらいかなと思った。
阿倍仲麻呂も暴風のために日本に帰らなくなり、長安で73歳没したとか。彼が唐から帰ろうとしたとき詠んだと言う。
“天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出し月かも”
さぞかし故郷の日本に帰りたかったと思うと切なくなった。
明日はいよいよ自転車の旅もフィナーレだ!チャレンジもフィナーレ!
静岡市内牧
小泉 啓子