植木剪定で第二の人生

静岡市沓谷
中村 久夫

私の家は代々百姓でしたが、怠け者の父は家をすて街に出て借家暮しをし、細々しい商売をしながら七人の子を育てました。
私は末っ子、成人し結婚してから、父母のように生涯借家暮しはしたくないと願い、家屋敷を求めることに没頭しました。
その甲斐あって現在の土地を入手し家も建てました。

今からニ、三十年前には”植木ブーム”なるものがあって家を建てると、こぞって庭作りに懸命になった時世でした。
私も庭作りに夢中になって植木農家から松など植木数十本。庭石屋から多くの庭石を入手し庭師を入れて本格的な庭園を作りました。

春秋の植木の手入れは植木農家の主人と息子がきてくれ、私は木屑の片付けや庭掃除を担当しました。
植木の中でも松の手入れが最もむずかしく時間がかかります。
手伝いながら他の植木とともに剪定方法を教えてもらい長い年月かけて自分でもどうやら出来るようになりました。

これでは近い将来、定年を迎えても庭木剪定の趣味に明け暮れすれば健康上も良いし第二の人生に生き甲斐があり前途に希望をもちました。
ところが菩提寺の院主がたびたび庭見物に来て、近く書院と庫裡を改築するので、どうしてもこの庭を欲しいといわれ、私も信仰や祖先供養のため寄進する決心をし、大部分の植木と庭石を寺院に移植してしまいました。

 そのうちに駿府公園を散歩していると、サツキの生垣を剪定している数名の仲間同志を見つけ、どうしたらなれるかと教えてもらった。早速、市役所内のシルバー人材センターをたずね入会申込をしました。平成六年五月のことです。

私が松の剪定まで出来るということで、すぐに仕事が与えられました。しかし、私の担当は公園や運動場などの公共施設でなく、市内の各家庭から注文を請けた庭木の手入れを、それぞれの家に出向いて行くといものでした。
 シルバーセンターから受註票をもらい、朝七時半ごろ家を出ます。
閑静な住宅地で遠いお宅でも自転車で二十分位で着きます。
年輩の女性の一人暮しが半数以上で多くの場合、愛想よく温かく笑顔で迎えてくれます。

初めて行ったとき、今までのことを聞くと「植木屋さんが来なくなった」。「農家の方が高齢になって来られなくなった」などの理由が多い。
また、費用の点でもシルバーは植木屋の半分以下である。そんなことで毎年春秋二回や、定期的に参上する。

年四、五回行く家もある。顔なじみになって永年親しみ、なかには冠婚葬祭の付き合いや主人に誘われて飲みに行くこともある。年間約三十軒ないし四十軒を担当します。

シルバーの仲間と一緒に仕事することは少なく、独りでそこの庭に入り込み自分自身の判断で精力的に作業します。かなり激しい労働です。

ただの奉仕でなくお金をもらっているので能率を上げないと相手様に申し訳ないという気持ちがわいて、つい夢中になってしまいます。

 自分の家の植木剪定時代をふくめて二十余年の経験にものをいわせて自信に満ちて働きます。
高い樹木はあらかじめ用意した脚立やハシゴに登り、危険がともないますのでヘルメットをかぶり命綱も使います。
高い所ほど緊張し細心の注意を払い勇気を出して活動します。

 松の本格的な剪定は毎年六月ごろ新しい芽をつみ取る「芽つみ」を行います。その時期を逃すと松葉が良く延びません。
一本の松の芽つみでも一日か二日かかります。今から二十年ぐらい前には私の家に七、八本あったので手入れは並大抵のことではありませんでした。

雨の多いこの時期に雨に打たれ寒さに耐えて夜、電灯までつけてやらなければ間に合わない。必死の思いで活動しました。
いま考えてみれば、気ちがいじみた、馬鹿げたことでした。こんな苦しみをして出来上がると、何ともいえない喜びに満ち、感激はひとしお深いものがあります。

 このような体験を通じて腕が磨かれ上達するのです。やがて松自身も美しく立派な見栄えとなるのです。
動物の飼主が生きものを大事に育てるように植木を愛する者はまごころこめて育てあげ自分自身の喜びとします。
顧みれば四十余年の公務員生活から定年後にこのような肉体労働に一変してしまったこと、自分でも不可解に思います。
 でも健康状態は良好で少々の雨風にさらされても、また暑さ寒さがあっても良く耐えられて風邪も引かずに他人の家に出向き精出しています。それは何といっても植木が好きだからでしょう。
シルバーの植木剪定をつづけて今年で八年目になりますがこれからも多くの皆様に感謝され喜んでもらうため、私自身の将来の生きがいを求めて元気よく前進する今日この頃です。