心に染みる良い話−真の教育とは−

一、ある小学校でのできごと


低学年の算数の時間のこと。出した題は「四つのリンゴを三人で均等に分けるにはどうしたらよいか」との問でした。ある子が答えて曰く「一つは仏前に、あとは一個ずつとればよい」と答えたそうです。

若い先生はその子を叱ったそうです。「算数の時間だぞ」と(正解は1/3)。

この話が後ほど教員室で報告されたとき、校長先生は「教えるチャンスを逸し、惜しいことをした」と嘆いたところ、先生がたから猛烈は反発があったそうです。
「算数の時間だから当然怒るのはあたりまえ」と。金沢先生は「この僅かな貴重な教育の時間を踏みにじった」と思ったから憤慨したのです。
先生はNHKの対話で泣いてこの話をしたそうです。そして「是非機会があったらならば、真の教育は゛心からと教えてください」と訴えたとのことです。

ニ、建仁寺における小坊主の話


この逸話は建仁寺の管長である釈宗演師の若い頃のお話です。塾頭は大変厳しい人で、日ごろから弟子たちは辟易していました。

ある日のこと、この塾頭は寺を留守にしました。弟子たちは久し振りに羽根を伸ばして伸び伸びとしました。
宗演はこのときとばかり、よりによって塾頭の部屋で足腰を伸ばし昼寝をしようとしました。塾頭の部屋とはいうものの四畳半で狭かったから小坊主が横になると部屋はほぼ一杯でした。ところが急に塾頭が帰ってきたのです。宗演は逃げ場を失いました。眼を閉じて眠ったふりをしましたが、何時雷が落ちるかと冷や冷やでした。

塾頭はそっと裾のほうをまたいで「ごめんなされや」といって机の上の忘れものに手を伸ばし、部屋を出るときには狸寝入りの小坊主に手を合わせ合掌したのです。このときがあって宗演の修行が熱を帯びるようになり、管長までの位に達したのです。まさに花は合掌に開いたのです。

三、ある中学の花一杯運動


゛花が咲いている。精一杯咲いている。私たちも精一杯生きよう

この歌碑は東京の某中学校の校門の前に咲く花園に建てられています。この学校の一生徒さんの作詞によるもの。従来この学校では生徒による花一杯運動で校庭を飾ってきました。
そのためがこの学校にはイジメがないそうです。

 あるとき木造の古い校舎が鉄筋の建物に改築されることに決まりました。そこで先生は「どうせこの校舎は廃材になるのだから最期の掃除は簡単でいいよ」といって教室を出ました。

ところがだいぶ時間が経ったのにもかかわらず掃除が終わったとの報告がありません。けげんに思った先生は教室へいってみると、子供たちは大掃除の最中で隅から隅まで雑巾掛けをしていました。机や椅子も汚れを懸命におとしていました。

生徒いわく「この教室は、机も椅子も私たちだけのものではなく、多くの先輩たちも使ったのですから、先輩のぶんまで清掃しないと申し訳ない」と答えたそうです。

ここまで゛花一杯運動の心が及んでいたのです。私の孫が通う城北小学校はこの゛花一杯運動の心で名が通っています。

とくに用務員のSさんは生徒のなかに溶け込んで、毎日花の手入れに懸命です。このSさんが、この花園に踏み込む人や犬を嘆いてあるとき次のような看板を立てたそうです。

「私がここにいます」と。ここで坂村真民の詩(「御殿場の地ビール高原」の碑より)をご紹介します。

二度とない人生だから、一輪の花にも無限の愛を注いでゆこう。
一羽の鳥の声にも、無心の耳を傾けてゆこう。
二度とない人生だから、露草のつゆにも、めぐりあいの不思議を思い
足をとどめてみつめてゆこう。
二度とない人生だから、まず身近な者たちにできるだけのことをしよう。
貧しいけれども心豊かに接してゆこう。
二度とない人生だから、のぼる日、しずむ日、まるい月
四季それぞれの星の光にふれて、わが心を洗いきよめてゆこう。
(坂村真民…愛媛の出身、熊本で育つ元高校の先生、仏教詩人として有名)。

 静岡市大岩
川本 武史