駿府城のあらまし
徳川家康は1607年に駿府に入り、その時に、今までの駿府城より大きく、戦いにも強い城にしました。平地に建てられた城なので、三重の堀に囲まれ、「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」になっていて、今でもその面影(おもかげ)が残っています。
現在「三ノ丸」は、県庁、裁判所(さいばんしょ)、病院、学校などの公共施設が立ち並び、「本丸・二ノ丸」は駿府公園として、春には桜やつつじが咲き、小鳥などもたくさん集まって、市民の憩いの場になっています。
巽櫓(たつみやぐら)について
駿府城の東南の方向にあり、十二支の「辰巳(たつみ)」の方角に当たるので、巽櫓とよばれています。やぐらは今の倉庫に当たり、弓矢、鉄砲や食糧(しょくりょう)などをたくわえた大切なところです。
現在中には、写真や説明のパネル、お城の模型などの資料がたくさん展示されています。
外から見ると2階造りですが、中は3階になっています。
東御門について
駿府城二ノ丸の東側に建ち大切な出入り口になっていた。門は枡形(ますがた)門で大事な所には、石落とし、矢狭間(やはざま)、鉄砲狭間(てっぽうはざま)があり、守りを固めた強い門です。
復元された門の上の横に2本の梁(はり)が使われていますが、これは伊豆の天城から取り寄せ1本1500万円して、扉は1つ500kgの重さがあるそうです。
石落とし
門ややぐらの高いところから石などを落として、敵の攻撃を防ぐための切り取った穴。
狭間(はざま)
城ややぐらの中から敵をねらってうつ穴。
□・・・矢狭間(やはざま) 弓を射る(いる)穴
○・・・鉄砲狭間(てっぽうはざま) 鉄砲をうつ穴
このように、駿府城や巽櫓などは、戦いに備えて造られていますが、徳川幕府(ばくふ)になってから約260年間は一度も戦いはなかったそうです。
取材を終えて
今回の取材で、まだまだたくさんの発見がありました。
みなさんも一度、この広い駿府公園に遊びにきてください。きっと新しい発見や、楽しい出会いがいっぱいありますよ。
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しゃちほこ |
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非常時の扉 内側から見ると、ふつうの扉ですが、扉を開けると、すぐ外に出られます。外は、石垣(いしがき)の階段になっています。 この非常扉は、外から中に避難するための扉です。 ←これが、外から見た扉です。 |
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←正面から見るとふつうの石垣になっていますが、斜め(ななめ)から見ると階段のようになっています。 |
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城内小学校の門です。 「三の丸」の中にある学校です。 左側が、私で、右側がいっしょに取材した、理子さんです。 この他にも、小学校が2校、中学校が3校、高校が1校、幼稚園が1つあります。 |