<夢に向かって!!夫と私>
成澤政江
「山の農家へ行ったらたいへんだよ。体も小さいから山仕事はきついよ」と結婚を反対した母であった。早いものであれから三十年になる。
私の生家は焼津市の農家である。父母は、米、麦、梨、いちごと季節の物を作っていた。忙しい時期になると、何人かのおじさんやおばさんが仕事にきてくれていた。毎日忙しく働く父母をみて、たいへんだなあ、かわいそうだなあと子供ごころに思ったりした。
また私の家は江戸末期から昭和初期まで「屋根屋」と云う屋号を持つ家であり、明治元年生まれの祖父の代まで茅葺き屋根をふく頭領の家であったと云う。多くの弟子がこの家から育っていったと父から聞いている。
私は、小学校一年生まで茅葺き屋根の家に住み、土間がすごく広かったことを今でもはっきり覚えている。家の中はうす暗く、柱は太く黒く光っていた。祖父も、父も、この子(私)が男の子だったらなあと時々云っていた。
屋根職人にするつもりだったかもしれない。四人の子供の中でこの家を好んだのは私一人だったから。
姉は、静岡市のサラリーマンで新築したばかりの近代的な家に嫁いでいった。
小坂はその昔、駿河から焼津を結ぶ交通上重要な地点であった。多くの人々がこの地を通り、古来から栄えた集落であった。
しかし、通り過ぎるだけでこの地に定住する人がなかった。古い家が多く嫁ぎ先もその一つである。
その為、封建的な所があり、又村人同志で結婚する人も多かった。あえてここに来たのだから母は心配し盆と正月に帰ると「だいじょうぶ?」と何度も何度も言った。
小坂の生活にも少し慣れ、たいへんだった坂道にも少しずつ慣れてきた。 農作業も父母、主人、私と四人でやった。3人の子供にも恵まれた。
四八年頃より、全国的にみかんが豊作で、暴落となり両親は心配した。今までの生活は一変した。
主人は現金収入を得る為、会社勤めをするようになる。三人の子供達を母に預け、父と二人毎日仕事におわれた。
その間、父から仕事を教わり、主人の分も覚えなければと思いノートにメモした。花をつけ、実がなり、収穫し、農協に集荷収穫した。
ここまでの喜びを感じると農家ほど楽しい職業はないと思った。もう少し高かったらと思うと楽しいが体がつかれた。何か勉強して考えなければとお思うようになっていった。
主人に相談、これからの農家は、頭をつかい、収穫したら直接お客様に販売するほうがよいと主人のアドバイス、考え方の進んでいる家も尋ねた。
夜は好きな歴史講座へ、婦人部の料理教室、雨の日は、母からみそ作り、たくあん漬け、らっきょう漬け、梅干し漬け、こんにゃく作りなど学ぶ。
学ぶことで農家のこれからの見通しもついてくる。
歴史講座で学んだことは、次の世代の子供たちに伝えたい。漬物もだいぶじょうずになったので販売したい。みかんも味を知ってもらって買ってもらう。
何年も考えているうち、ついに嫁いで二十二年目の夏、日本坂の麓に「文化茶屋・御坂堂」を開き、夢の一つが実現した。店は、毎週日曜日と毎月二八日不動尊の縁日と決めた。
店内には、小坂の歴史を展示、店頭には農作物で朝どりの野菜を、そして母から学んだ加工品と漬物を並べる。建物は主人と家の木を切り材料にする、測量は市の方に教わり二人でやった。本当に手作りの店である。
御坂堂を開店して、はや十年が過ぎ山登りのハイカーも増え、客数も増え、一週間に約三百人ぐらいの人達が訪れるようになる、うれしいことである。
世間から人が村に入ることを好まない人もいたが、最近は村の人もだんだん理解してくれるようになった。自分の家でとれたものを御坂堂に出す人、無人販売をやる人もあちこちにできた。人が入ることによって新しい考えになれたらと思っている。
主人は元気で会社勤めで家計を助けてくれありがたいと思う。定年になったら二人で又農業をやりたい。その日まで、山を荒らさないで守っていきたい。
今は父も亡くなり母と二人で農業をしている。主人は日曜日に、また息子もたまに手伝ってくれる。
川を東にもつ土地はたいへんよい位置にあるという。まっさらな太陽の日ざしを受けて一日が始まるからと思う。
長い歴史をもち、多くの文化財がありながら日の目をみることもなく、すごしてきてしまった小坂。美しい自然とよく肥えた土地を持ちながら充分それを生かしていない小坂、厚い人情に守られたままになっている小坂も、もう少し外気をとり入れて若い人達が居心地のよいようにしてあげるのも、私達のつとめだとおもっている。
長い間小坂に住み、自分では小坂の人になったつもりでいたが、土地の人からみるとまだまだ世間からきた人という印象があるようだ。しかし嫁いできた以上、ここに住み、ここ小坂を愛する心に変わりはない。
今は、私も好きな歴史をより深め、小さい体で大きな夢を持っている。古いものを大切にしながら新しいことにも恐れず向かっていきたいと思っている。
地域そして家に後継者を育てていきたいと思うのも夢の一つである。少しでも夢を実現させ、少しでもその喜びが長田、小坂そして家庭にはねかえってくれればと願っている。
よく働き、いつもいい顔で、にこにこ、夢に向かって主人と仲良く生きていきたい。
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