私の老後はマジックで燃えています

裾野市桃園
湯川 匡矩

私は会社を退職する少し前から、老後はどん事を目標に、どの様に暮らしていくのか、第二の人生の生き方について、しきりと模索するように成っていました。

今迄は、子供を育てる為、安住する我が家を建てる為、会社発展の為にと唯々、無我夢中で働いてきたのです。
強いて言うならば、我が家の為と、会社の為に、一途に働いてきたのです。
然しこれからの第二の人生は、今迄経過してきた様な人生ではなく。

老後の人生は、人様の命令や指示されて動くのではなく、自己が獨立して力を発揮し、然も社会の為にも、大いに貢献できる様な事をして、大いに羽ばたいてみたいと思う様に成った。
そこで私は、人生経験豊富な、諸先輩達の活動状況や奮闘ぶりを具に研究させて頂いたのです。
その結果、確りとした趣味を持って、活躍している人や、社会の為に奉仕活動等に励んでいる方は、いつも活気が有り親切で、朗らかで健康そうな人が多いという事を、心に強く感じたのです。

此の様に趣味や、社会の奉仕活動等に参画している方々は、何故生き生きとして、健康的な人が多いのか、不思議に思った私は、少し、医学的に勉強してみたのです。
其の結果、こう云う人達は、自分の遣っている仕事に対して、誇りと、満足感や感動心が秀でているので自律神経の交感神経が優位に働くので、健康にも恵まれ心も充実しているからだと云うことが判ったのです。

此の「ヒント」から、老後の人生は、趣味を持って楽しく生きる事が、最適だと云う事が判ったのです。
然し、果たして「どんな趣味が私に一番適しているのか、まだ心の中で迷っていた、或る日の事である。

静岡新聞に「或るマジック倶楽部大活躍の記事が、写真入で報道されたのです」
此の記事を見ていた私は、大いに感動してしまい「よしっこれだ!私の趣味はマジックにしようと」、思わず叫んだのです。
そして、プロマジシャンのハリー立石先生に教えて頂く事に成り、主として、「ステージマジック」の芸の勉強を始めたのです。
五十九歳と言う、年老いてからの「マジック」の習得には、随分辛い事も多く、難儀もしましたが「ひとつずつ芸を」確実に覚えなければならず、歯を食い縛って頑張りました。

然し其の結果、ひとつずつ芸を覚えるたびごとに、興味も湧いて、其の楽しさも倍加され、芸を覚える事自体が楽しく成ってきたのです。
そして何時しか、「レパートリーも」も九十を越えるほどに成っていました。

お陰様で、今から十五年程前から獨立して芸名も、「マーサー湯川」として目下のところ活躍中です。
私は現在、「セミプロ」マジシャンとしてステージに出演する程毎に、先ず自分自身が楽しみながら、演技を通して社会の人様にも、共に楽しんで頂き、明るい社会の建設に役立てばと思い頑張って居ります。

過去十五年前、老後の生き甲斐として始めた、マジックと云う趣味の活動も十五年余が過ぎ、主な活動母体としては、しずおか健康長寿財団地方活躍の講師として。寿大学の裾野、沼津地区講師をとして。裾野市立東西中学校ふれ合い学習講師として。其の他幼稚園や保育園等を慰問する等、多岐にわたり活躍させて頂いており、感謝の心を以って遣らせて頂いております。

演技の内容については、前半は「イリュウジョン的な芸を約三十分、後半は「コミカル」な芸を約三十分位遣らせて頂いています。
そして演技が終わると、観客が、ステージに駆け寄り、握手を求められたり、園児達が、どやどや押しかけてきて、おじさん、どうもありがとう。と言って、銘々手作りのプレゼントの品を沢山頂いたりする事もしばしばあり、老後の生き甲斐として、マジックと言う趣味を持ったお陰で、すこぶる元気で、マジックショーに熱中しながら楽しく第二の人生を生きております。

皆さんも是非、老後の人生には、欠く事のできない、ご自分に合った趣味をもって老後の人生を楽しんで下さい。