パソコンと盲導犬
丸児峰路
パソコンに向い音を聞きながら、ひたすらキーを叩く・・・・・その女性の横顔を見ていた時、私の脳裏に琴の音とともに或る思い出でが蘇えってきた。
それは、まだ私も若かった日の出来事で、三重県津市での視覚障害の少女との出会いであった。少女は琴を弾くことに優れた才能を見せ、独演会に向け日夜、精進していた。その指先からは軽やかで涼やかな玉の音、紅葉の折しく晩秋の淋しげな響き、或いは北海の怒涛を思わせるように激しく琴の爪を糸に叩きつけて弾いていた。私は視覚障害の少女と琴をテーマに、テレビドキュメンタリー番組をつくりあげたのである。
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パソコンに打ち込む千代元子さん |
視覚障害の少女の思い出を蘇えらせてくれたのは千代元子さん、静岡市に住む主婦である。
元子さんは、サラリーマンの家庭に生まれ、4人兄妹の末っ子であった。
生れつき弱視であったが小学2年生の時、眼球の摘出手術を受け、光を失った。
「私の血液型はB型で、ノンキな性格、目を失ったことを大して意識しなかった」と振返る。
元子さんの人生を変える最初の出来事は、19才の時の「アマチュア無線」との出会いだった。当時、盲学校生だったが、それまでキライだった化学、物理を補修授業で特訓してもらい、見事「電話級」に合格した。
「電波法規は、友達に教わり、ヤマカンが当たりました。」と笑う。
このアマチュア無線の交信で、元子さんの世界は広がり、友達も大勢できた。
オフ会での思い出ででは、横浜山下公園への遠出、富士山五合目では凍えそうになり、下界に降りたら暑かったなどを話してくれた。「趣味を通してのお友達は、見えようが見えまいが関係はありません。今も交流は続いています」という。
元子さんの結婚相手は、このハム仲間で、もちろん恋愛結婚であった。ご主人は晴眼者(視覚障害の無い人)である。元子さんは、それまで続けていたマツサージ治療の仕事を止め、「三食昼寝付きの主婦」になった。
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電車内の千代元子さん |
間もなく、第ニの出来事にぶつかる。
二番目の子供の保育園の送り迎えである。
それまで母親の手助けを受けていたが、なんとしても自分の手で送り迎えをしたいと願った。
そこで友達から盲導犬を紹介され、東京・アイメイト協会の訓練所で4週間の訓練を受けたのである。それまで犬との付き合いは無く、どちらかといえば、犬はキライだったが、懸命な努力が始まった。
盲導犬に対しては自分は常に主人でなければならない、厳しい訓練だったという。
盲導犬と歩けば、何処でも好きなところに行ける・・・もともと活発な元子さんにとって、盲導犬との出会いは大きな第ニのターニングポイントだった。
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盲導犬「エーデルワイス」 |
やがて、元子さんは静岡アイメイトの会(盲導犬利用者の会)の事務局を引き受けた。
ここで出会ったのが、パソコンである。当時は昭和62年ごろで、MS-DOS機で音声パソコンが出始めていた。
「AOK」という音声ワープロを覚え始めたが、当初は「6点入力」しかできず、「フルキーでやれ」と先輩に叱咤激励された。
当時のベーシック・ソフトは、印刷レイアウトが難しく、封筒や葉書の宛名書きには、苦労させられたという。
「プリンターはメニューを、読み上げてくれないんですよ」音が頼りの元子さんは無我夢中で試行錯誤をくりかえした。
このパソコンとの出会いが、第三の出来事だった。
その内、パソコン通信に、のめり込む。しかし、MS-DOSのパソコン通信では、テキスト文は、読み上げてくれるものの、画像になると、読み上げてくれず、不満がつのった。
1997年、IBMがwindows版「ホームページ・リーダー」という音声ブラウザーを開発、発売した。その前に東京の展示会で、ソフトのデモストレィションを聞いた元子さんは、IBMの説明者の「イメージ ファイルが読めますよ」という言葉を信じ、早速ソフトを手に入れた。
「なんとしても映像を読みたい。そんな自分にとって、このソフトは感じていた以上のものでした」とソフトとの衝撃的な出会いを話してくれた。
しかし、windowsの知識の無い元子さんの新たな苦労が始まつた。
当時、まわりの知り合いでwindowsの知識を持っている人は、だれもいなかった。そこで、たまたま静岡市にパソコンの講演にきた大学生(筑波大生でないかという)の電話番号を聞き出し、電話での教えをお願いした。学生は、こころよく引き受けてくれ、それから毎日の電話講習が続き、ソフトのインストール法などを覚えた。
「学生さんも、見知らぬオバサンの電話攻勢には、ビックリしたでしょうね。」と笑う。
やがて、パソコン知識の教師は、ご主人になった。「主人が私の最も良い先生でした」とオノロケまじりで話してくれた。
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JR興津駅の千代さん |
人は、情報の9割を眼から得ると言われている。
特に視覚障害者にとってそれまでの情報といえば点訳(点字化)されたものか、音訳(録音)されたものしか得ることができなかった。
従って情報の鮮度が落ちた限られたものしか得られないのはやむをえなかった。
しかし、パソコン通信やインターネットへのアクセスが出きるようになり、視覚障害者の前には以前とは比較にならないほどの情報があって、自分でも取捨選択できるようになった。
しかし、この幸せを手にすることの出きる障害者は、まだ少ない。
またソフトはマウスにより操作が簡略化され、グラフィカルな表示が進んだが、これが反面、視覚障害者には苦労を強いている。
このハンデキャップを乗り越え、パソコンの分かる人が、仲間を教えるというグループ活動の輪が広がりだした。
元子さんも、電車に乗りパソコン支援に出かけることがある。傍らには愛犬「エーデルワイス」がいつも寄り添っている。
ある時は、インターネット接続の失敗復旧で、電話サポートをした。TAドライバーの再導入、USBドライバーの削除と再インストールなどむずかしい操作を、お互い電話の声とパソコンの読み上げ音声を頼りに実施し見事成功したという。
「お互い必死です。インターネットをやりたい一心であれこれやり、2時間半もかかりました」と体験談を話してくれた。
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町中を行く千代元子さん |
今、千代元子さんは、福祉実践校での講師なども務め、視覚障害者への理解を得る仕事に情熱を燃やしている。また晴眼者とペアーを組みパソコンボランティア活動もしている。
「できるものは、自分で挑戦してやってみる」このモットーを心の内に秘め、元子さんは、今日も「エーデルワイス」とともに町中に出て行く。
その姿は、三重県津市の琴の少女の姿にオーバーラップして見え、私は追憶と夢幻の境地にいるようだった。