<私の「朗演」をめざす>

内田  民恵

 五十三歳の時、「朗演」をはじめた。それから三年がたつ。
朗演とは、朗読に演技を加えた舞台表現の事で、あまり知られていないか゛一人芝居のようなもの、と言ったら判りやすいだろうか。

 ずっと以前から演劇、映画など演じる事も好きではあったが、どうしてか側へ行ったら危険なような気がして、近寄ろうとしなかった。やりたいなどと言おうものなら両親に一笑に付されるか怒られるかのどちらかだと確信していたのかも知れない。

 「お母さんも、若い頃からこういう道に入っていれば、このぐらいに成っていたのになー」と、テレビに出ている熟年女優を指しながら、何気なく高一の娘に話し掛ける事も無く、一人ごちると「お母さん、その言葉もう何回も聞いたよ。そんな事言うなら、今からでもやってみればっ」と少々非難めいた強い返事が帰ってきて、ハットした。

 自分では気付かないうちに、何遍も同じ事を言っていたのかというショックに続いて、そうだ、今からやっていいんだと気がついた。
今やらなかったら、これから先ズーッとテレビの前で子供や誰かにグチをこぼし続けて、挙げ句の果てに嫌われるのがオチだ。

 人並みに結婚して、子供も出来て、その頃もハマッタら困るからと見ない様にしていたが、もう今ならハマッテ結構。やらせてもーらーい。

 と言うことで、「朗演」のスタジオへ伺ったのだが、そこでお会いした演出家に、「内田さん、ゆっくりやりましょう。あと、三十年ありますよ」と言われてしまい、えっえっとなった。

 ゆっくり?三十年?頭でその言葉をハンスウしながら考えると、確かに平均寿命まで生きたとしたら、これから私の人生三十年はある。そうか、そうだよ。人より遅い出発なんだから、頑張らなくっちぁーなんて、腕まくり気分で息巻いていたけれど、これから先、時間は充分あるんだと、素直に納得できた。

 そうして勉強がはじまり3年たって、今年8月5日に、はじめての独演会を開いた。

稽古を始めた頃、あまり快くは思ってはいなかった夫も、今回、衣装や小道具の運搬など協力してくれ、長男は、パソコンを使って当日配るプログラムを作ってくれた。高三になった娘は、会場で受け付に立ってくれた。

 高校の同期生や知人が、大勢の方に声をかけて誘って下さり、私自身も今までに袖擦りあった、いろんな方にチラシを配ったり、チケットを買って戴いたりして、当日はたくさんの方々が会場に足を運んで下さった。

 たいていの方が「朗演」って何? と思いながら見に来て下さったようだ。今思うと冷や汗が出る。なんて私って、図々しいヤツ。なんて皆さんって、いい方なの。

 オカリナの演奏で、語りを盛り上げてくれた若い友人。黒子として、見えない所で一生懸命働いてくれた朗演の仲間達。もろもろの方々に支えられて、公演は好評のうちに終わった。

 子育ては一段落したとは言え、振り替えって見ると、この三年間にもいろいろな事があった。次男の結婚、かわいい孫の誕生、そして昨年は明治生まれの父を看取った。

 私のライフワークなんだから、もっと集中して朗演に関わっていたい、と思った事も何度かあったが、その度に、先は長い、あせらないで、ゆっくりでいいんだと、思い直す事が出来て、ここまで来れたように思う。

 これからも、いろんな事に出会うだろうが、日々の暮らしも大事にしながら「私の朗演」をみがいて行きたいと思う。

 いつだったか、長寿をまっとうされた田中澄江さんが、生前、テレビ番組の中で、一番充実していたのは七十代だったと言っておられたのを見た事がある。

 楽しくて、苦しくもある、次回の為の本探しに、そろそろ図書館通いをはじめようかと思っている。充実した七十年代を向かえる為に。




静岡市城東町
内田  民恵