熟年の思い

清水市有東坂
宮城島 百合子

会社が終わってから、三保の海で泳いできたと、夕方よく実家へ遊びにきた二人暮しの、姉夫婦を見て、結婚って、幸せな楽しい生活が送れるものと夢見た私は、本当に未熟な子供でした。

洋裁学校へ通っていた時、院長先生の部屋に呼ばれ、客の男の人が居ましたが、布地屋さんだと思い、気にもしないで、色んな話をして来ましたが、人を介して、見合いをしたら、洋裁学校で会った人で、会社勤めのサラリーマンで、家族はアメリカより帰国した人たちで、両親と一緒に暮らす条件でした。

母より姑の苦労話は一度も聞いた事もなく、素直に聞いていれば務まるものだと半年の交際をした後、結婚しました。

新婚旅行から帰って来ると、かまどのマキのくべ方や、はたきの掛け方が悪い、おはちにまだ隅に少し米粒が付いていると、その場で洗い直され、ふくれ上がったしもやけの手で、外の洗濯は、すすぎの音が少ないと教えるよりも、小言で、どこそこの嫁さんは、早起きして、朝食前に一仕事するそうの、いくら稼ぐそうの、そんな姑の口やかましさで、「嫁のかけがいは有っても、親のかけがいはない」と言われ、辛く情けなく、悲しい思いをどれ程したかわかりません。

実家では、子供を置いて来るなら、帰って来て良い、と云われましたが、お手伝いの春ちゃんが、離婚して、子供に人目会いたいと、おもちゃ買って行ったけれど、会わせてくれなかったと、泣いていたのを見ているので、帰ってしまう事も出来ず、主人は、やさしくしてくれるし、日曜日は外へ連れ出してくれるので我慢するしかないと思いました。

ラジオを聞きながら、洋服を作っているとき、私の本棚と云う番組で、「荷車の歌」(山代巴書)が読まれ、主人公のセキは姑が食事もおしんで、息子の弁当ごうりには、米御飯をつめ、セキの弁当にはくまご飯ばかり、「茂一や殘ったら、もってもどれよ」と云い、ある日人のいない道端で夫婦二人並んで食べる時、「あんた一箸くれな、ええ」と云ったら、お母がった殘ったら持ってもどれ」とセキには見向きもせずに食べていた。…

重い荷物を荷車に乗せ、雪の山道で働く主人公の話に泣かされ、もっと私より辛くて苦しみながら、頑張っているんだ。
私は好きな人形や洋裁をやりながら頭の中は姑の小言一杯で自分だけ、みじめで、苦労していると思った事を反省し、前向きに自分を変えるしかない。と決心しました。

 人形の髪型、どんなポーズにするとか、洋服のデザインや配色を考え、いじけた気持ちが変わり、東京の講習会にも出してもらい、勉強の幅を広げていきました。

姑は、五年後、あんたがまかないをやる様にと、主人の給料を手渡されました。
実家でもらった野菜や麺類、戴き物も、買ったつもりの「つもり貯金」を始め、母が呉服屋で二三反選んで置いたから買う様にと、もらったお金で、本田技研や、日産自動車の株を買い、保険も、一年分前払いして一ヶ月分浮かし、つもり貯金は、少しずつ増えて行きました。

姑はよく子供の面倒を見てくれましたが、近所の子供と遊ぶのを見ながら、おしゃべりは姑の役で私は仕事だけ、昼間本を読んだり、昼寝等した事もなく、日曜日も変わらず早起きをしました。

東京へ材料を買いに行く時は、主人が自転車の後ろに載せて駅迄送ってもらっていたのが、スクターになり、車にと、時代は変わって行きました。

日本人形から、木目込人形、七宝焼き、その他の手芸と素材を変えながら、勉強しました。
東京の講習会で和紙人形と出会い、髪型を聞いたら、返事がなく、一列に並んで、先生に髪を見てもらわない内に、時間が終わってしまうので、自分流に考案するしかないと決め創作和紙人形を始めました。

静岡松坂屋友の会の講師になったのですが、日本人形や、木目込人形は、五、六点作ると、やめていく方が多いのに、和紙人形は何年も続けて来て下さる方が多く、創作に追われる日が、今も続いて居ります。

一つの道を歩む事は、それに付随した風俗、習慣、歴史、小道具、踊りや、芝居の約束事、髪型と勉強する事は、好きだからこそ続くと思います。
長々自分の苦労話が続きましたが、我儘な私故、人一倍苦労して人間が出来たし、二人暮しの甘い生活を送っていたら、今の私は無いと思います。

人形を多くの人達に教える立場となり「苦労は買ってもしろ」と昔の人は言います。
苦労する事により、他人の気持ちも理解できるし、やさしく出来ます。
努力して勉強する事により、実を付け花も咲いてくれます。

仕事を持つと云う事は、多くの方との出会いや、交流で、人間関係が丸くなり、色々な事を学ばせてもらえます。
手と頭を使いボケを防ぎ、健康で前向きに、人に甘えず、出来る事は自分でやる、個独にも好きな事があれば元気で老後が過ごせます。

そしてなによりも日本伝統ある技法を、子供や後の人達に殘し伝える為にも教えると云う事が生きがいであり、いつまでも現役と云う気持ちで、張りのある生活を送りたいと思っています。