中堀 浪漫通を歩く

静岡市の誇るべき歴史遺産は、今川時代それに徳川時代である。

今川氏の居館跡に築城されたという説もある駿府城は、慶長年間には五層の天守閣を擁する天下の名城であった。

外堀の上にそびえる駿府城(合成写真)

そこには大御所といわれた徳川家康が君臨し、江戸の幕府とともに二元統治をおこなう政治経済、それに大航海時代の国際外交の舞台でもあった。

それから400年余経た今日、往時を偲ぶ歴史遺産は、駿府城跡の四方を取囲む石垣と満々と青い水を湛えた中堀(二の丸堀)である。

平成14年までに、この中堀に沿い駿府城跡を周遊する歩道は美しく舗装され、素晴らしい景観を見せてくれる。若者たちにも好かれる道、愛を育む散策路になってほしい願望を込めて、私は「中堀 浪漫通」と名づけたい、たとえ、それが「家康公の散歩道」と名づけられていようとも・・・・・・。

まず最初は、東側にある静岡市民文化会館前の浪漫通から歩き始める。ここは直線道路で、石垣の上にある桜並木が水面に映えて美しい。
東御門と静岡県庁舎





南東角の二の丸東御門と巽櫓(たつみやぐら)は、復元建築物としては日本でも数少ない純木造入母屋造りの城郭建築で、寛永15年(1638)当時の雄姿を忠実に再現しいる。




巽櫓は静岡市制 100周年を記念して平成元年に復元され、東御門は5年の歳月と約20億の建設費を投じて平成8年3月に完成した。

巽櫓(たつみやぐら)


櫓の中は展示館になっていて、駿府城の絵図や復元資料、駿府城関連の出土品などが展示されている。


二の丸御門跡で木橋があった


ここは、二の丸に入る二の丸御門跡で中堀を木橋で渡った。現在は東側に新たな出入り口を開け、城跡にできた駿府公園入り口とした。
城壕用水土地改良区の碑


近くには駿府城の城壕用水の記念碑がある。駿府城の城壕用水の水利権は、江戸時代から下流の村々(後の千代田、豊田、大谷の各村)にあって農業用水とし利用されていた。



これも堀の美観を維持する目的で、昭和50年静岡市に譲渡され、内堀に再び青い水面が戻ってきた。



南西角に来ると静岡学問所跡の石碑がある。静岡学問所は、江戸幕府崩壊ご駿府に移封された徳川藩が開設した学校で、幕末を代表する教授らが移り、スマイルズ「セルフヘルプ」を「西国立志編」と題し翻訳・刊行した中村正直らがいた。

静岡学問所跡


また、米国人教授E・W・クラークも招かれ物理、化学、数学などを教えた。

西側には、静岡市立病院、静岡税務署、静岡地方裁判所など官公庁の建物が立並ぶ。

その一角にカトリック静岡教会が静かに建っている。
原主水の像


中庭には切支丹禁令で処刑された原主水胤信の銅像がある。

原主水は家康の小姓で1500石を領し聖名をジュアンといった。切支丹禁令で駿府を脱走したが捕らえられ、他の信者5名とともに安倍川の刑場で額に十字の焼印を押され、手足の親指と足の筋を切断され放逐された。

刑場に向かう主水と宣教師(カトリック高輪教会所蔵)


主水はその後江戸に出て隠れ住んだが、元和9年(1623)家光の命令で再び捕らえられた。
カトリック静岡教会




主水と2人の宣教師、それにこのとき捕まった50人の信者は品川の芝・札の辻刑場まで引き廻され十字架の上で火あぶりの刑に処せられた。





この歴史の数々を再発見できる「中堀 浪漫通」をめぐるレトロバス「駿府浪漫バス」がお目見えした。

駿府浪漫バス


のんびりゆったり駿府城の名所めぐりを楽しめるとあって人気は上々、赤いバスの「葵小町」、青い「家康公」、緑の「竹千代くん」のバス3台が約20分間隔で走る。歴史の街静岡市の新しい人気者である。
問合せ:静岡鉄道・新静岡バスセンター、TEL:054-252-0505